令和4年度より、本校の新制服について児童・生徒・保護者の皆様へアンケートのご協力をいただき、制服検討委員会を中心に協議を重ね、この度西中新制服のデザインが決定致しました。
生徒を中心に創り上げた西中学校の新しい伝統を誇りに思っていただけると幸いです。
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昭和22年4月1日、西中の前身である倉敷市立第二中学校が設立。当時の第二中学校は、西富井の岡山県蚕業試験所跡の建物の一部を借りて本校舎とし、中学3年が2学級、2年が3学級の計5学級が在籍。1年生は分散校舎として、倉敷高等女学校に倉敷東小学校出身の女子生徒が2学級、大高小学校に2学級、中洲小学校に3学級を配置。 |
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独立専用の校舎ではなく、4つの場所に分かれ、他校の校舎の一部を間借りするという不便で苦労を伴う出発であった。
本校の校章は、創立当時の職員で、後に岡山県議会議員になられた小玉勇一先生が、その当時の実情や団結精神を苦労してデザイン化したものである。
創立当時から現在まで続く校章のデザインは、倉敷市の「倉」の字を図案化した菱形がベース。4本のペン先は4つの分散校舎を表し、「学ぶ精神」をも象徴している。さらに「中」の文字にかかる2本の輪は、第二中学校の「二」を表すとともに、4本のペンを結び付け、「校舎は分散していても本校の生徒職員の心は一つ」という「結合と和」を意味している。
昭和25年1月1日、倉敷市条例第208号により、校名を倉敷市立第二中学校から現校名の倉敷市立西中学校に改称した。同年4月には、岡山青年師範学校が岡山大学構内に移転したため、普通教室3と工作室を増設。昭和26年4月、岡山青年師範学校附属中学校も岡山大学教育学部附属中学校に吸収移転し、本校はさらに、図画教室、図書閲覧室及び衛生室を設置した。
昭和28年5月、PTAと市の援助を得て、経費60万円で学校図書館の整備を計画。募金活動も展開され、同年12年には、待望の学校図書館がついに完成した。生徒たちは図書館を大いに活用し、「基礎学力の研究」の県指定中心校になった本校では「基礎学力の高揚と図書館の活用」というテーマの発表会も開催された。
昭和29年3月には校旗が制定され、昭和28年度の卒業生たちから寄贈された。
「倉敷市立西中学校 50周年記念誌」より抜粋
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