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倉敷公民館

沿革

 
 1953(昭和28)年

・大原総一郎氏、音楽図書館建設のため倉敷市に1,000万円指定寄付。

 1963(昭和38)年

・本町の電報電話局が老松町に移転。跡地に1964(昭和39)年に県立図書館が移転。(1968(昭和43)年市立に移管。)

 1967(昭和42)年

・大原総一郎氏が東京に浦辺鎮太郎氏を呼び、「公民館計画の中に音楽図書館を入れること。その姿は、小野の3階蔵。 飄々とした土蔵で印象に残っている。」とイメージを伝え、向かいの大原氏所有の土地に将来同じ型の建物を建て対とすることなどの指示を与えている。

 1969(昭和44)年

・10月3日、倉敷文化センター(倉敷公民館の前身)が現在地(倉敷市本町 倉敷郵便局跡) に新築。倉敷をイメージした門長屋様式の建物で、設計は浦辺鎮太郎氏(1909~1991年)。(隣接の図書館とは渡り廊下で繋がっていた。)
・音楽図書室は、大原総一郎氏の寄付金及び寄贈された2,000枚に及ぶSPレコード(大原コレクション)をもとに開設され、隣接する倉敷市立図書館の附属施設として利用される。
・大原総一郎氏が生前愛用していた蓄音機チニー・2P、ビクトローラ・8‐60もご令息大原謙一郎氏によって寄贈された。
・流政之氏(1923~2018年)の彫刻 『KURASHIKIMON』(1969(昭和44)年制作)が倉敷文化センター完成記念として、倉敷ロータリークラブにより寄贈された。
(命名は吉井旅館の女将 永井圭子さんの母だとか。当初は館内に置かれていたが、後に屋外アプローチに移設した。)

 1983(昭和58)年

・隣接の図書館は倉敷市中央に新築移転し、倉敷市立中央図書館となる。倉敷文化センターは倉敷公民館と名称を変更し、音楽図書室は倉敷公民館の管轄下に入る。

 1996(平成8)年

・1995(平成7)年から改修工事を行い、1996(平成8)年2月29日完了。

 2017(平成29)年

・2016(平成28)年12月から耐震補強工事を行い、2017(平成29)年3月完了。

 

流政之の彫刻『KURASHIKIMON』(1969年制作)について

kurashikimonの画像

(2009年5月13日 吉井旅館女将 永井圭子さんの卓話~
                    『倉敷水島ロータリークラブ週報』より抜粋)


 『KURASHIKIMON』には「もの」と「もん」の両方の意味を持ち、私の母が命名しました。倉敷公民館の完成の記念に、倉敷ロータリークラブから寄贈されたもので、公民館の中にあったものを屋外アプローチに移動し、当初は眼がなかったのですが、その時に眼も付けました。流氏は日本より世界で先に有名になった方で、アメリカの9.11テロで破壊された世界貿易センターの前にあった『雲の砦』が有名です。流氏は、倉敷界隈が非常に気に入っておられ、吉井旅館にもしばらく逗留されていました。