![]()
|
マップ |
![]() |
学区について |
学区は戦時中,東高梁川の廃川敷に三菱工業水島航空機製作所の社宅が建設されてから,水島住宅街となり,さらに昭和30年代より水島臨海工業地域としての急速な発展にともない,工業,商業,建設関係者等が県内をはじめ全国各地から集まり,急激な人口の増加が見られた。
水島のほぼ中央を南北に走っている水島臨海鉄道の西地区は水島商店街を形成し,東の北畝地区は従来,畑作農業中心の農村地区だったが,近年,住宅地に変ぼうしつつある。
児童数は,昭和50年代にはピークを迎え,1,400名を超えていたが、昭和60年代から減少傾向に入り,現在に至っている。
児童数 |
|
(令和5年5月1日現在) |