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倉敷市 庄公民館

研修活動

令和4年度 手話教室・手話交流会

手話教室・手話交流会で手話を学ぶ様子の写真    手話教室・手話交流会でジェスチャーだけで伝言ゲームをしている写真
 
 
 7月23日(土)に、庄手話サークルのみなさんに講師を務めていただき、

手話教室・手話交流会を開催しました。庄中学校区人権学習推進委員会では、

聴覚障がいへの理解と認識を深めることを目的にこの事業を行っています。

 当日は、庄小学校の児童・保護者をはじめ、教職員の方々や地域の方々にご

参加いただきました。

 はじめに、手話で名前の表し方を教えていただきました。名前の表し方には

様々な方法があり、ものの形や動きから表現したものなどがあるそうです。例

えば、「山」は、指で大きなヤマの形を描きます。「き」であれば、影絵のキ

ツネで表すそうです。

 続いて、自分の名前を手話で表現できるように教えていただきました。少し

難しいと感じるところは、庄手話サークルのみなさんが一人ひとり丁寧にアド

バイスをくださいました。

 次に、手話で「まほうのことば」を歌いました。はじめに、庄手話サークル

のみなさんがお手本をみせてくださいました。その後に、歌詞の一つひとつを

手話で表現しながら丁寧に教えてくださいました。繰り返すうちにすらすらと

手話で歌えるようになり、最後にはみんなで一緒に手話で歌いました。

 最後に伝言ゲームを行いました。このゲームでは、言葉は使わず、ジェスチ

ャーだけを使って伝えていきます。

 お題の絵(食べ物など)を選び、一人ずつ後ろの人に思い思いに表現し伝え

ていきます。答え合わせの際には、途中でお題が変化していないかドキドキで

したが、正解すると会場が一つになり盛り上がりました。その後、お題の絵に

ついて手話での表し方を教えていただき、手話を楽しみながら学びました。

 参加された方から「もっと手話に積極的に関心をもっていきたい」などの感

想を多くいただきました。

 この事業が障がいへの理解を深めるきっかけになるとともに、障がいのある

なしに関係なく、誰もが安心できるあたたかな地域づくりへとつながっていっ

てほしいと思います。





 

令和5年度 研修視察

    
研修視察① 研修視察②
 
 9月9日(土)、推進委員及び関係団体の皆様、合わせて20名で香川県善

通寺市の善通寺駐屯地資料館に研修視察に行きました。


 善通寺駐屯地資料館は、明治31年10月、旧陸軍第11師団が四国全域を管区

として編成された際、師団司令部として建てられたもので、善通寺駐屯地では

通称「乃木館」と呼ばれ、現在は、陸上自衛隊第14音楽隊が1階を使用し、

2階が資料館になっており、日露戦争に関する貴重な資料や初代師団長であっ

た乃木希典ゆかりの物が展示されています。

 乃木希典は、明治31年10月~明治34年5月22日まで勤務され、その後、昭

和20年の終戦まで25代にわたり歴代師団長が勤務されました。実際に、使用

された執務室には愛用の机や椅子が残されており、贅沢を好まない人だったよ

うで、使用する椅子は小さいものを使用したり、豪華な絨毯を敷いていたが撤

去したり、部屋が広すぎるため狭くするなどしていたようです。

 日露戦争(1904~1905)では、中国の旅順においてロシア軍との激しい戦い

が繰り広げられました。この時の日本軍司令官が乃木希典でした。日本軍は、

ロシア軍の強大な要塞に攻めより、突き崩すことに成功しました。しかし、そ

の戦いでは乃木は二人の息子を含む多くの部下を失うこととなったのです。一

方、敗れたロシア軍を率いていたステッセル将軍は、日露戦争敗北の責任をと

らされ、ロシア皇帝より銃殺刑を宣告されました。しかし、乃木の働きかけに

より、ステッセル将軍は死刑を免れ、シベリア流刑に罰が減ぜられたそうで

す。さらに、残されたステッセル将軍の家族のために、乃木自身がなくなるま

で生活費を送り続けていたということです。敵(かたき)ともいえる相手に対し

てとった思いやりは「弱いものいじめや卑怯なことをしない」、「敗者をいた

わる」といった武士道精神として語り継がれているのです。


 今回の研修では、当時の時代背景や史実を顧みることで、戦争と人権につい

て考えることができ、また自衛官の方に詳しく説明していただき、とても有意

義な研修になりました。