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倉敷市立西中学校


誕生

倉敷市立西中学校の前身・倉敷市立第二中学校が創立

倉敷市立西中学校の歴史は、昭和22年4月1日創立、同年4月28日開校の新制中学校「倉敷市立第二中学校」に始まる。当時、岡山県倉敷工業学校教諭であった田中正三氏が本校の初代校長に任命され、4月末を開校のめどとして教職員組織に着手。教員22人を確保し、本校の歴史的な第一歩が踏み出された。
昭和22年4月28日降りしきる雨の中、岡山県倉敷高等女学校(現・倉敷青陵高等学校)の講堂で、教職員、生徒、多数の来賓や保護者列席のもと開校式並びに入学式が挙行された。本校1期生は1年398人、2年141人、3年83人の計622人。倉敷市立第一中学校(現・東中学校)との合同式典であった。
当時は学制改革によって6・3制の義務教育制度がしかれたうえ、戦後の資材不足や財政難で校舎の不足は避けられない状態だった。従来の中等教育は二分化され、同じ建物の中で中学生と高校生が、また小学生と中学生が勉学に励むという具合で、独立校舎を持つまでには数年間の歳月と関係者の努力が必要だった。
創立時は中洲小学校に1年生3学級、大高小学校に1年生2学級、倉敷高等女学校(現・青陵高校)に1年生2学級(東小出身の女子のみ)、岡山県倉敷中学校(昭和19年に設立され昭和23年、岡山県立倉敷高等学校に改称した男子校。後に倉敷青陵高校と合併)に2年生3学級と3年生2学級の計5学級を収容。全校で12学級あったが、独立校舎を持たず、他校の校舎を間借りしての4分散授業を余儀無くされた。本校が現在の日吉町校舎に移転し統合できたのは、創立1年後のことであった。
本校の校章にデザインされた4本のペン先は、困苦欠乏に耐えながらも4分散校舎で勉学に励むこの当時の姿に由来する。

校舎内部

「倉敷市立西中学校 50周年記念誌」より抜粋