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倉敷市立霞丘小学校

霞丘小の誕生


小学校新設の決定

 昭和36年水島工業地帯に川崎製鉄の誘致が決定し,昭和38年3月,川鉄社宅が弁財天地先(現在の鶴の浦1丁目)に完成した。その後,川鉄社宅の子弟を教育する小学校を新設するとの決定がなされた。


学校用地の検討

 学校用地を弁財天にと,当時の加藤県知事から直々に相談を持ちかけられ,弁財天地区と川鉄社員の子弟とが一緒に教育を受けるのにふさわしい土地を検討することになった。地域で何度か会合を開き,現在地が通学等の条件がよい場所であると意見が一致した。
 昭和42年当時の霞丘小学校の地は大谷側流域の純農村地帯であった。南岸は水田,北岸はみかん畑,そして,赤松の茂った秋には松茸狩りもできる山地だった。5月頃には「ほ,ほ,ほたるこい・・・」と歌いながら螢を追いかけていた。 


設置決定

 この地を当時の倉敷市教育委員会の方々に見ていただき,学校用地として適当であると判断された。16名の地権者の方々のお宅を毎夜一戸ずつ訪問させていただき,事情を説明しぜひ協力をとお願いした。地権者全員のご理解とご協力をいただき,スムーズに事が運んだ。
 「土地は,先祖から受け継いだ宝物です。しかし,この土地が子どもたちの教育の場としていかしていただけるのですから・・。」と,ありがたいお言葉もいただいた。
 いよいよ,昭和41年5月「倉敷市立第二西浦小学校」(仮称)として設置が決定された。


新校命名

 連島北小学校より弁財天の児童が1割,9割は他府県を郷里とする川鉄社員の子弟。この子どもたちのイメージに合う,卒業後もずっと心のふるさととして残り続ける校名をという教育長のお言葉を受けて「霞丘小学校」と命名した。
 天下の名橋霞橋の「霞」,みかんの花咲く「丘」の2文字を入れ,将来,この霞丘小学校から世界に羽ばたく大人になって欲しいと夢を託した。


(「霞丘小30年のあゆみ」から三宅丈三氏の『創立30周年感無量』より抜粋)